「不道徳で不潔な本」として非難された作品
1891年、オスカー・ワイルドは『ドリアン・グレイの肖像』を単行本として発表した。当時の反応は手厳しかった。複数の新聞が「書かれるべきではなかった本」「不道徳で不潔な書物」と断じたのだ。ヴィクトリア朝時代の道徳基準に照らせば、この物語の主題と人物描写は過激すぎた。
批判の矛先は作品内容だけではなかった。ワイルド自身の人生も絡んでいた。彼は同性愛者であり、それは当時の英国では犯罪であり社会的死を 의미した。最終的に彼は投獄され、公の場での名誉を失った。皮肉にも、彼を追い詰めたこの作品こそが1970年代以降に美学文学の傑作として再評価されたのだった。

ドリアン・グレイという名の致命的な美
『ドリアン・グレイの肖像』あらすじ
ドリアン・グレイは非の打ち所のない美貌を持つ若者。ある日、画家バジルが彼の肖像画を描く。完成した肖像を見たドリアンは、自らの美しさに魅了されると同時に、その儚さに怯える。歳を取るのは自分ではなく、絵が老いてくれればいいと願い、奇跡的にその願いが叶う。
その後、ヘンリー卿と出会い、彼の快楽主義に染まっていく。外見は若さを保ちながらも、内面は次第に堕落していく。女優シビル・ベインを愛しながらも、彼女の演技に失望し冷たく別れ、彼女は自ら命を絶つ。ドリアンはその死に一瞬動揺するも、すぐに快楽へと舞い戻る。
18年後、かつての友であるバジルが肖像画の変化を見て祈るよう勧めるが、ドリアンは彼を殺してしまう。シビルの弟ジェームズに追われるが、若々しい容姿により自らの正体を誤魔化す。しかし正体が明らかになり、ドリアンは己の業に押し潰される。肖像画をナイフで刺すと、その刃は自身の胸を貫いた。そこに残されたのは、醜く老いた死体と、美しいままの肖像だった。
見た目に欺かれ、真実に滅ぼされる
ドリアンは美を何よりも価値あるものとみなし、道徳や人間性さえ犠牲にした。純粋だった彼はヘンリー卿の言葉に感化され、他者を操り、関係を破壊し、自らの破滅を招く。これは単なる道徳的物語ではない。ワイルドは人間の二面性、美という名の暴力、虚栄心の代償を冷徹に描いている。だからこそ、100年以上経った今も色褪せない。
『ドリアン・グレイの肖像』は今なお通用するか?
間違いなくそうだ。現代は外見至上主義が支配する時代。SNSやメディアに溢れる「見せかけの完璧さ」は、内面の崩壊を隠す仮面かもしれない。ワイルドの物語はまるで預言のように響く。近年話題の映画『ザ・サブスタンス』もこのテーマを受け継いでいる。美と若さが、魂さえも犠牲にして崇められている社会に私たちは生きている。
結末:時代を越えた問いかけ
ワイルドは単に「美」を賛美したのではない。むしろその裏にある危険と代償を暴いた。登場人物たちの言葉は、私たちの心に今も鋭く突き刺さるだろう。ワイルドならこう言ったかもしれない――「人は自分を騙すことに、実に長けている」。
あなたの魂が描かれた肖像があったとしたら、そこにどんな表情が浮かんでいるだろうか?