武器よさらば レビュー:人生が虚しく感じられる時に読む本

Ernest Hemingway
ーネスト・ヘミングウェイ. 戦争の現実と直面した作家、アーネスト・ヘミングウェイ

『武器よさらば』は、アメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイが1929年に発表した長編小説です。舞台は第一次世界大戦中のイタリアとスイス。出版当時から大きな注目を集め、1930年代には舞台化され、1932年と1958年には映画化もされています。『タイム』誌が選ぶ「20世紀の英語小説100選」にも含まれ、アメリカ大学委員会によるSAT推薦図書でもあります。

作者のヘミングウェイは、戦争や自然という極限状況で人間がどう生き、どう死ぬかというテーマを生涯にわたって追求してきました。彼自身が第一次世界大戦に従軍し、その体験をもとに『武器よさらば』や『日はまた昇る』などを執筆。スペイン内戦では『誰がために鐘は鳴る』を、晩年には『老人と海』で孤独と尊厳について描きました。1954年にはノーベル文学賞を受賞しますが、1961年にショットガンで自ら命を絶ちました。

Ernest Hemingway

あらすじ:絶望の中で芽生えた愛

物語の主人公フレデリック・ヘンリーは、アメリカ人でありながらイタリア軍の衛生兵として志願します。戦場で負傷し、後方の病院に運ばれた彼は、そこで看護師のキャサリン・バークレーと再会します。当初は軽い感情で始まった関係でしたが、過酷な戦争の中で二人の絆は急速に深まっていきます。

やがてキャサリンは妊娠し、戦争が終わったら結婚することを約束します。しかし戦況は悪化。カポレットの戦いでイタリア軍は壊滅的な打撃を受け、混乱の中で撤退を余儀なくされます。

撤退中、フレデリックの車が泥にはまり、工兵二人に助けを求めるも拒否され、彼は激昂して一人を射殺。もう一人は逃亡します。仲間のアイモは銃弾に倒れ、ボネッロは敵軍に投降。フレデリックは唯一の仲間ピアーニと共に川を渡り、本隊へ戻ろうとしますが、途中で憲兵に捕らえられ反逆罪で尋問を受けます。

処刑寸前、彼は川に飛び込み逃走し、キャサリンのいるミラノを目指します。そこで彼女がストレーザに向かったと知り、すぐに後を追い、ついに再会。バーテンダーから「警察が捜している」と警告を受けた二人は嵐の中、ボートでスイスへ逃れ、仮の滞在許可を得ます。

スイスでは山間の木造の家で静かな生活を始めますが、出産が近づき、緊張感が漂います。ついに帝王切開が行われますが、赤ん坊は息をしておらず、キャサリンも大量出血により命を落とします。深い喪失感に包まれたフレデリックは、病院を後にし、雨の中を一人歩き始めます。

戦争と愛、そして死の隙間にあるもの

この小説での戦争は、単なる背景ではありません。銃声、泥、血、そして静寂が生々しく描かれています。ヘミングウェイ自身の従軍経験が、その描写に真実味を与えています。

フレデリックとキャサリンの愛は、戦争という地獄の中で束の間に咲いた花のようなもの。終わりが見えていたからこそ、その愛はより美しく、そしてより痛ましく感じられます。愛は戦争には勝てず、人間は運命の前では無力です。しかし、それでもなお、人間は愛し、生きようとする。そこにこの物語の核があります。

舞台化と映画化、そして作家の怒り

『武器よさらば』は1930年にブロードウェイで舞台化されましたが、成功とは言えませんでした。その後の映画版は舞台脚本を元に制作されたため、原作のニュアンスが十分に反映されませんでした。さらに、舞台脚本を担当したローレンス・スターリングスにもヘミングウェイと同額の使用料が支払われ、物議を醸しました。

最大の問題は、映画における結末の改変でした。原作ではキャサリンは死亡しますが、映画では彼女が生き残るバージョンが作られたのです。ヘミングウェイはこの改変を「原作の冒涜」と激しく非難しました。彼にとって、死は単なる悲劇ではなく、人間がどうしても抗えない現実だったのです。

書かれた現実、そして読者に残る真実

『武器よさらば』は、確かに悲劇的な物語です。しかし読者は、その深い絶望の中に、ある種の希望や救いを感じ取ることができます。愛があったこと、その愛のために何かを成し遂げようとした人間がいたこと。それこそが物語の核心です。

最後、フレデリックが亡き恋人を残して雨の中を歩いていくシーンは、抑制されていた感情が静かに溢れ出す瞬間。ヘミングウェイがその一文を何度も書き直したというのも

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